ルート66
ROUTE 66
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ルート66とは何でしょう?!

それはシカゴとロスアンゼルスを結ぶアメリカの大幹線ハイウェイでした。

 それは産業道路でもあり、また観光道路でもありました。イリノイ州スプリングフィールドとオクラホ・マシティのビジネスマンが大陸横断の高速道路の必要性を連邦政府に進言この認可が下り工事が始まったのが1926年、完成は12年後の1938年のことです。8洲(イリノイ、ミズーリ、カンサス、オクラホマ、テキサス、ニューメキシコ、アリゾナ、カリフォルニア)にまだがりアメリカ全土の半分以上を横切っていました。全長2,400マイル(約4,000キロ)に及びます。完成からおよそ50年後、1984年には新しい高速道路(インター・ステイツ・フリーウェイ)がルート66全線をカバーし、これによりルート66は消滅したのです。
 にも関わらず今もなおルート66はアメリカ人の心に生き続けています。その理由はアメリカ人なら何らかの形で関わりをもった社会現象があります。一つは1930年代の世界大恐慌の冷めやらぬ頃干ばつが中西部農耕地帯を襲ったのです。この為オクラホマ州、カンザス州、ミズーリ州の農作物は全滅し、さらに干からびた土地は砂漠になりミシシッピー盆地は「塵地帯」(Dust bowl)と呼ばれるほどになりました。何十万にもの農民が経済破綻を起こし家を失い、彼らは自動車やトラックに全財産を詰め込み職をもとめ西へとルート66を走ったのです。彼らはその出身地から「オーキーズ」(Oakies)と呼ばれました。スタインベックの小説「怒りの葡萄」(The Grapes of Wrath)はこの時代背景の中の作品として有名です。
 もう一つは1945年太平洋戦争が終結し数百万人もの兵士達が帰還してきました。彼らは西海岸の港に着きそこから東の故里へこのルート66を通って帰って行ったのです。この帰還兵の一人に元トミー・ドーシーバンド(Tommy Dorsey Band)のドラマー、ボビー・トゥロープ(Bobby Troup)がおりました。彼がその後1960年代のTVドラマ「ルート66」の主題歌にもなった「ルート66で行こう」(Get Your Kicks on Route66)を作詞したのです。このドラマは大人気番組となり日本でも放映されここで多くのルート66ファンの日本人を生みました。
  こうしてルート66はあたかも現代アメリカの原風景の象徴のような存在になり、アメリカ人の誰もの心に残る神話的存在になったのです。皮肉なことにルート66のTVドラマが大人気を博していた頃からこのルート66に変わるより高速で走れる州をまたぐフリーウェイの建設が始まりルート66は終焉へと向かっていきました。
  旧ルート66は今でもその残骸を残しています。ほとんどはフリーウェイがその上を走りかき消されてしまいましたが、今でもかつての雰囲気をそのままに残っている旧ルート66は存在します。中でもアリゾナ州西部からカリフォルニア州東部へかけ100マイル(160km)以上の直線道路を含む旧道が残っており、ここへは世界中から観光客がやってきます。
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最終更新日 : 2008/02/15
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